吉川英治の「宮本武蔵」の中に出てくる「京の名門吉岡道場と作州浪人宮本武蔵の決闘場面」は、現在の企業活動に置き換えると意味深い。
周知のように武蔵一人に吉岡勢70余名が斬りかかる場面だ。
道場に通勤し木刀稽古で集団化した人間と、真剣による実践で修羅場を潜り抜けてきた個人とでは、戦いをシュミレーションする能力が違うはずだ。物語の中では吉岡側は隊列を組み、最前列の下層級から順に戦うつもりだったが、武蔵は後方から現れ最後尾にいた当主が真っ先に斬られてしまう。多勢ゆえに吉岡側は誰も其の事実に気付かないまま戦い続ける。自分の出番は来ないものと高をくくるもの、強者の手柄を奪い時期当主を狙うもの、最早戦闘集団としての指示系統や組織力は無いに等しく、烏合の集団だ。なにやら硬直化した大企業を髣髴とさせる。従来宮本武蔵の戦術の巧拙や年端も行かない当主に対する非業さを感傷的に捉えていたが、一貫して自分の体力を測りつつ、全体の流れと切り込むタイミングに集中する武蔵は、経営資源が限られ独自の戦法でしか戦えない中小企業と似ている。格好よく言えば、もてる実力を選択と集中できる者だけが、生き残る世界なのだ。だから募集差別化要因として「創業経営者の謦咳に触れられる」「直接達成感が得られる」「仕事の喜びが直接適えられる」「組織の歯車にならない」が必要になってくる。
だとすると中小企業は、近代化された家族経営と徒弟制度を志向するしかない。一定の修行期間を経て「免許皆伝」になれば「暖簾分け」をする機会を与えるのだ。勿論、社員全部がそういう人生指針を持っているとは限らないが、「経営してみたい」というツワモノにはチャンスを与えることができ、傷ついて憔悴した帰還者には家族(社友)が待っている構図だ。
子曰く、「苗にして秀ざる者あり、秀でて実らざるものあり」は、いつの世も同じだ。
本人の意思と意欲には関係なく現実は厳しい。その現実とあわせ自分の限界を学ぶことも大きい。「唯、上知と下愚とは移らず」のように「本当に賢い人は、のち愚かになることが無い」と考え、チャレンジする自信家や口舌家もいよう。
そこで当社では、4つの分社化を考えている。管理会社とメンテナンス会社が各1社、基幹賃貸仲介会社を横浜地区と川崎地区に各1社、その傘下に募集店6〜8店を擁することになる。
つまり社長4人、募集店長6〜8人を育成することになり、現有勢力では社員の20%を経営者として育成しなくてはならない。
人材育成に有名な「ピグマリオン効果」というものがある。
人間は、誉めるよりけなす方がうまくいくように出来ている。いわゆる頭のいい人ほど、欠点を見つけるのがうまく、長所を発見するのが下手だ。誉められると、我々の頭は調子に乗る。つい勢い付いて、思いもかけないことが、飛び出してくる。二つのグループ間で、誉められていたグループのほうが良い成果が出るという。全く根拠なく誉めていても、効果が出るという「嘘から出たマコト」もある。同様に山本五十六の「やらせてみて誉めなば人は動かじ」にもある。簡単なことだが、どうしてどうして、何時も心しなくてはできない。経営者の究極責任は「会社を倒産させないこと」だ。社員に全力を出してもらわなければ維持できないのだ。
民間会社に「不沈空母」はない。危機意識を持った社員が多数占めれば磐石だ。その布陣が終われば、我が経営者人生に悔いが無い。
代表取締役 三戸部 啓之



