2009年09月28日

148号-2009.9.25 part1

「知っている事」と「それができる事」は全然違うが、錯覚する社員も多い。
また「知らない事」をそのままにして、平気なことが問題なのだ。
最近の若い社員は、知らないことでも人に聞かないで済ますことが多い。知らない事を聞くことは別に人格を卑下することではない。知らないことを「そのままで済ます」事が問題なのであり、「知ったかぶり」をする事が、その人間から「知への謙虚さ」を奪い、自分で検証する姿勢がないと「知の蓄積」がなくなることが問題なのだ。誤った知識をそのまま覚えてしまうことがあるし、関連知識を習得する機会がなくなってしまう。
「経験年数の割には」「年の割には」知らないね、という修飾語がつく事態にもなる。
「石の上にも3年」というように、修行というものは「耐えれば」それなりの成果が出るものといえる。言い方を変えれば、3年も我慢できなければ何処でも使い物にならないし、3年経てば一人前になるという事でもある。それは必然的に「座学ではなく実務経験」が伴うという事でもある。ところが「まだ3年しか経っていないから」知らないのが当然だという社員も見かける。
一種の居直りにしか過ぎないのだが、「トラブルやクレーム」が発生した場合に出てくるものだから始末が悪い。当の本人も悪びれる様子もないし「これは自分の仕事ではない」とくるから余計に始末が悪い。「誰も自分以外の仕事をするな」と言っていないし「知らないなら聞け」といいたいのだが、「何を聞けばいいのかわからない」だから無理はない。何事にも「なぜそうなるのか、疑問を持て」と口をすっぱくして言っているが、○×の2者択一式思考方法で育った中では、それも相当難しいらしい。
研修を充実すればいいのではないか、との考えもあるが、業務上起こる全てを網羅することはできない。生身の人間を相手にするビジネス環境では限界があるし、その場面に遭遇しないと理解できないことも多い。「知の習得」は集中的に学ばせることができるが、それに基づいた「経験知」は、おいそれとは学べない。ある程度の年数が必要なのだ。だから、その時は自分の人生の最大のチャンスとばかり、喜んで取り組むべきだ。しかも、それは予め「君の人生にとって今がその時だよ」と教えてくれない。幸せな人生に「ロードマップ」が必要だと賢人は教えるが、人生の成功者は「ロードマップ」など作ったりはしない。その与えられた場面に、全力で乗り越えたから、貴重な経験知となり人生の成功者になったのではないか。成功話はいつも「過去の話」だ。振り返って初めて、そのときの経験が土台になっていると初めて認識するに過ぎない。ヒルティは言う、「最も快適で、最も報いられ、しかもお金のかからない時間の使い方は仕事なのだ」。否応無く一日の時間の30%を使う会社仕事は、気の持ちようで楽しくも辛くもなる。
どうせならその時間はまさに自分を鍛えるために在ると考えればモツト前向きに成れるのではないか。
その上、本来なら支払わなければならない授業料も無く、返ってお金を貰い「鍛えて貰い、得がたい経験を積ませてもらう」こんな結構なことは無いのではないか。
昔の人は給料を「お給金」といっていたのが頷けられる。そこには「教えていただきありがとうございます」という感謝の念が見える。自分を練磨する時間を「労働時間」「拘束時間」と考える昨今の風潮では、お互い不幸になる。
まして労働の対価となれば、それなりの義務と成果は要求されるのが当たり前だし、定着しなかった「成果主義」がでるのも当然の帰結だ。日高 普氏の言葉によれば、「もし従業員が過酷な労働を強制されているだけなら、彼にとって家庭は魂の安らぎの場となるだろうが事実は違う。会社で働く事に生きがいを感じ、主体的な情熱と緊張をそれにささげてきた者にとって、家庭は単に寝に帰る所にしか過ぎない。
家庭がそれ以上の意味をもって立ちはだかってきたら、ソレは彼の生きがいの充足にとって邪魔なものでしかない」のである。仕事からの経験は「自分自身の資産価値」を上げることだし、その点から家庭や家族の機能を見直す必要がある。

posted by 株式会社アーバン企画開発 at 11:21 | TrackBack(0) | 2009年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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