最近不思議な風潮がある。若年者の派遣雇い止めが、雇用側のバッシングの嵐に見舞われた。
誰もが知っていることだが、高校中退で30歳まで正規の仕事をしたことがなければ、まともな会社はどこも相手にしない。そこで職業訓練を声高々に唱えた一部評論家がいたが、「彼らの問題は人的資本(稼ぐ力)がマイナスになっていることで、学歴や職歴の欠落を初歩的な職業訓練で挽回することはできない」という冷徹な事実を無視している。鉄と同じ様に、鍛えるときに鍛えなければ遅いということである。また彼らの言う雇用維持は一時、人間性無視という観点から批判された「社蓄」を礼賛するものだ。経営者が「従業員の定着率の高さ」や「従業員の労働意欲や満足度」に意を配っている点を無視しているし、自己責任を資本家側が労働者階級を固定化すると見るマルクス史観でしかない。
資本主義社会は「競争社会」が前提になっている。その為の相手に対する批判は、ルールとして当然認められている。その真意を測らず、無批判に取り入れることは「ISO」「成果主義」に限らず、問題を起こしたことは記憶に新しい。それは半面、雇用者側だけでなく被用者側でも「競争社会」であるということだ。それは競争相手より「自分の能力」を高く売るという社会でもある。
ともあれ「受身の社員」「指示待ち社員」が多すぎる。しかも免責条項がないから頭が痛い。
社員の名札や名詞に「入社して○○年になりますが○○しかできません」と、つけたいくらいだが、そうも行かないところが辛い。我々の業務で言えば「案内係」「記帳係」「取り次ぎ専門」「配達係」等のレベルである。10年位前にホテル等で顧客サービスの一環として「I CAN SPEAK ENGLISH」の名札をつけたフロントマンやコンシェルジェがいた、そもそも免許資格制度自体が、ある一定の能力や知識を持っていると是認しているわけだ。それが即ビジネスに結びつかないとしても、資格に伴う高度な注意義務を課せられている。資格制度の運用上や実務上の問題は多いが、現在のような消費者保護に偏りすぎた嫌いがある社会では、資格とスキルに相違があれば、個人の人格権やプライバシーを考慮しても、誇大広告、不当表示として糾弾されるはずだ。だから更新制度もありチェック機能を果たすべきだが、運転免許を除きあまり機能しているとはいえない。
近代社会の特徴は、「数値化、記号化できないあいまいな事象」を排し、全ての評価を無理やりに数値化しようとする。その方がわかりやすいし、点検しやすく、誰もが反論しにくいからだ。
労働=時間=賃金という考え方を取り入れたり、各種資格制度の創設もそうだ。
また、「小さな政府」を目指すためには「事前規制より事後規制」になってくる。
予防に費用をかけるより、対処療法的に費用をかけるほうが全体の支出は少なくなるからだ。「認定や資格」が多くなり、倫理や責任を付加するのだ。また近代社会は匿名社会でもある、個人が特定できない社会でもある。つまり個人責任が希薄になる社会であり、ますます「一定の責任表示」が必要になってくる。今日のようなネットによるあらゆる情報が瞬時に入手できる時代では、従来のビジネスモデルであった「情報の格差はビジネスチャンス」が成り立たない。公開される情報以外の「何か」が必要なのだ。それが経験知といわれるものだし、能力承認としての高度な資格が益々必要になる。当社では従来していた「宅建主任者資格取得補助制度」は今期限りで廃止し、よりレベルの高い資格取得に限定する予定である。勿論「中身の濃い」納得できる「実践的」スキルが前提にある。
代表取締役 三戸部 啓之
2009年09月28日
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