2009.1.30に門倉貴史著「貧困ビジネス」が出版されて以来『貧困ビジネス』という言葉が氾濫している。彼によると、それは「貧困層をメインのターゲットとして、短期的な利益を追求するビジネス全般」を指している。そのターゲットである年収が200万に届かないフルタイム労働者が総務省の2007年「就業構造基本調査」によると、約1308万人に上っている。この人達が「働く貧困層:ワーキングプアー」と呼ばれ、さらに、2008年7月時点で生活保護受給者157万人、消費者金融からの借り入れが5件以上の多重債務者は97万人となっている。
彼らを相手にするビジネスは、有望で参入業種も多く、金融、派遣から食品、風俗まで広範囲だ。つまり規制緩和により企業間の競争がグローバルに展開すれば、価格競争に巻き込まれ企業が一定の収益を確保する為に人件費を抑制するようになる。その結果、貧困層が増え「薄利多売」のビジネスモデルにならざるを得なく、リスクを伴う問題も大きくなってくる。
ビジネスターゲットとしては、「富裕層」も「貧困層」もないが、購買価格を考えると、富裕層とは違う品質にならざるを得ない。「富裕層」に比べその品質も劣化し、価格に織り込めない強制、サービスが、人権問題に発展する為だ。価格構成から言えば当然のことで、価格に材料、雰囲気、接客マナー、時間、立地、回収リスクを含めれば、それなりの価格になるし、それがなければ低価格となるか、価格構成の一部を圧縮して何処かにしわ寄せする事になる。
さらに「貧困ビジネス」には、「弱者を虐待する」悪しき企業としてイメージされる点が、今回マスコミの格好の材料に取り上げられたことだ。バブル以降、何かと2極分化する思考が蔓延しだした。「勝者と敗者」「勝ち組と負け組」「六本木ビバリー族」等だが、それは「識別社会化」という表現もある。言葉を変えれば、レッテル社会・差別という事になり、古典的な統治の方法だ。古くは中世ヨーロッパ、
近くはナチス・ドイツしかり、日本社会しかりだ。
当時は為政者や社会閉塞状況の不満をそらす為に、「少数民族」「社会的弱者」「異教徒」「精神障害者」を格好の標的にした事は歴史的事実が証明している。形や呼称を変えてドコでもあり、おぞましい人間の性ともいえる。今回もその恐れなしとはいえない。騒がれている派遣切りにしても、問題の本質をそらし、企業側に全責任を負わせる隔靴掻痒の懸念がある。
2008年夏の秋葉原無差別殺人事件の青年も自動車会社の派遣社員だった。哲学者の内山 節氏は、「派遣社員という『存在の耐えられない軽さ』の孤独な自由を抜け出したかった・・・無差別殺人を侵して今までの自分とは違う自分になっていくという自由を求めたかった、しかし自分に制約を加える人は誰も現れなかった」と分析し、派遣社員から飛び出した事に原因を求めたが、事件の性質上、自分勝手の論理ということでメディアは、企業側の責任を事実上不問にした。派遣継続が原因で一方は大量無差別殺人を犯したが、企業側の責任追及はなく、他方今度の『派遣切り』で困窮した社員は、すべて企業側の責任になった。また、著者の銀行出身経歴から、あえて避けてある?「債務整理がビジネス化」した問題も無視できない。「グレーゾーン金利」の返還訴訟ビジネスだ。
2009年05月12日
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